おはようございます。RISです。
中国が10月1日に建国70年を迎えましたね。
今回はそのことに関してお話をしていこうかなと思います。
中華人民共和国この国はいまどんな転機を迎えようとしているのか。
・習近平と毛沢東の同格化が進んでいる
習近平と毛沢東の同格化が進んでいるとの記事がありました。
どういうことなのでしょうか?
中国において「毛沢東」とは個人崇拝の対象です。
天安門広場に、毛沢東の写真があることで。その存在感はわかりますよね。
毛沢東は権力を一回失っています、失権したわけですね。
農業革命を起こして、大失敗したんです。
毛沢東は復権するために
「文化大革命」を行いました。(リンク貼っておきます)
簡単にいうと、
権力を失った毛沢東が、復権するために文化を統制して、資本主義を追い払うという名目で、政敵を排除した。
ということがありました。
その結果、多くの知識人が迫害され、文化が破壊されました。
イデオロギーの違いというのは理解できます。
元となる文化や国民性に違いがあることを鑑み、支持する考え方に差が出ることはあるでしょう。
しかし、文化を破壊することは、何があっても許されることではありません。
人間の本質の一つである知識を集約するということに反していると思います。
まあそれは置いといて、、
このように毛沢東の元には文化大革命の結果、権力がもどり、死ぬまでその権力は維持されます。
個人崇拝が行われるようになったのはそのあたりから始まっているのではないでしょうか。
さて、日経新聞の記事の中にこのような内容がありました。
中国ではいま、習(習近平)を毛(毛沢東)と同格の指導者と位置付ける運動が密かに進んでいる。
習近平は、
中国の国会のような機関である、「全人代」において
2018年に国家主席の任期を「2期10年」までとする規制を撤廃する憲法改正案を採択させました。
これにより事実上習近平は、国家主席でありつでけることができます。
これは、習近平という存在を数ある国家主席のうちの一人ではなく、個人崇拝の対象へと昇華する動きの始まりなのでしょうか?
中国において古代の皇帝のように権力の座に居続ける習近平
これに対し、中国国人の中にはあまり良い反応はしていない人も多いと聞いたことがあります。
中国の歴史上、皇帝という圧倒的な存在がいる方が、国民性的に統治しやすいという見方もありますが。
現代の中国において、「皇帝」は必要とされているのか、果たして疑問です。
中国共産党
中国共産党に対し、欧米の民主主義勢力は反応します。
中国はいま、政治体制は共産主義、経済は資本主義を取りいれています。
経済が資本主義において発展するとき、
普通は個人化や個人の利益を優先する動きが活発化し、民主主義化します。
アメリカはこれを狙っていました。
中国が経済的に発展したら民主主義化するだろうと期待し、技術移転するなど支援を続けてきました。
しかし、中国共産党は倒れない
新たな世界の覇権国家になる可能性がある国が、一党独裁である共産主義によって運営されるようになりました。
実際中国はやり方うまいと思います。
一党独裁でありながら、資金お投入する先はよほど日本の政治よりも的確なのでは?とおもうこともしばしば
AIやスーパーコンピュータ機関にたいする、国のバックアップはすごいものがあります。
GDPも上がり続けていますね。
この経済発展が中国共産党の正当性を担保している一面もあると思います。
中国の方に話を聞いたところ、中国の田舎であっても給料は上がっているようです。
この発展によって共産党は支えられているのではないでしょうか?
一党独裁であっても、民主主義であっても、経済が発展しているから、まあいいか、、
というのが中国の国民の本音ではないでしょうか?
現金なのも人間の特徴です。
経済発展に失速が見え、景気が悪くなったとき
共産党が一党独裁する正当性は失われる可能性が高いと見ています。
その時、習近平の「皇帝」時代は終わるのではないでしょうか?
中国の経済が失速するのはいつなのか?
もうすでに失速しているという識者もいれば、まだまだ発展しているというも見方もあります。
いつか来るかもしれないその時の次に、中国ではどんな政治体制が生まれるのでしょうか?
中国について調べたいこと
中国を分析することは、隣人である日本にとって必要なことであり。
政治家としては当然の責務です、アメリカにおいてはよく隣国について研究がなされています。
日本は隣国研究が弱い国少々弱いようです。
では何を調べるべきか?以下にあげるものは気になっているところです。
・地政学的分析
・政治体制
・経済体制
・一国二制度
・GDP、発展の限界はあるのか?
・米中貿易戦争
・香港問題
・台湾問題
・文化の違い
アメリカが中国と仲が悪い理由は、単純に自国の存在を脅かすようなことは容認できないという理由もあると思いますが。
文化が違いすぎて理解ができなく、理解できないものは本能的に怖いという人間の本質的弱さからも、対立は生まれているように見えます。
この辺りについて、今後研究発信していきたいと思います。
皆さんのお役に立てれば幸いです。
また違う記事でお会いしましょう!